2016年11月11日金曜日

ITプロジェクトで失敗した時

当たり前のことだけれども人間だれしも失敗をする。その時どのような心持ちでいれば良かったかを書いてみたいと思う。なぜこのとこを書こうかと思ったかと言えば、最近自分はプロジェクトで小さな失敗をした。(正確に言うと失敗をしたかも知れないと思い込んでビクビクしていた)その時に冷静に考えて、なんで自分はこんなにビクビクするんだろうと振り返ってみた。
過去自分はプロジェクトの激務で体調を崩し、長期にわたって休んでしまったことがある。それは失敗をリカバリーしようとして激務に激務を重ねて結果的に体調を崩してしまった。
(もとからそのプロジェクトは失敗していたが、リカバリーせよとの指示を受けてプロジェクトに入った)
その時のトラウマがあるのだろうと思う。その時の自分は委任契約で大手ITベンダーに雇われていた。それなりに高給の契約ではあったが、契約上はプロジェクトの成否に一切責任のない立場のはずであった。
しかし実態はユーザーさんから毎日毎日「どうなっているんだ!怒」と責められ、どなられる毎日であった。しまいには「お前のせいでこれこれの金額分の損失を被った。どう賠償してくれるんだ!」と言われた。ベンダーのPMに相談したがなにもしてくれなかった。
また同じ立場であるはずの協力会社の人も責めてしまった。「なんでできないんだ!」とか「どうしてこうなった」と言ってしまった。
結局のところ「火中の栗を拾う」とは聞こえが良いが、「本当」の責任者は責任をとらず、委任契約である自分に便宜上責任を押し付けたのだった。
その時の自分は「プロジェクトを救う!」といった今考えると意味の無い義侠心にかられて、仲間を責め、自分を責め、プライベートもすてて頑張ったが、個人の力では限界もあり潰れてしまった。
委任契約で個人が受けるペナルティーは、契約を打ち切られる以外にはなく、責められるいわれもないはずである。
通常は契約の継続は生活の安定とリンクしているので、ついつい無理をしてしまいがちになる。とことん追い詰められると最後は「死」を意識してしまうまでになるが、サラリーマンと違って労災は降りない。残業代も契約上明記がなければ請求権はない。
なので心の安定を図る為、いつでも契約を打ち切られる(こちらから打ち切る)ことを念頭において仕事をしている。「信頼している」と言われてもその人は99%生涯の面倒は見てくれない。どころか半年先の約束でさえ平気で破る。なので戦国時代の武将では無いが、常に死地にあることを意識していれば、おのずと飄々と「責任逃れ」ができる。責任はないので責任逃れという言葉はおかしいが。
冒頭に書いたビクビクしてしまった理由は、昔の記憶が少し残っていたからだろうと思う。なので、何かあったらこのブログを見直して、これからも飄々とプロジェクトに関わることができればと思う。
委任契約の関係は、切るか切られるかしかないのだから。

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