2016年8月8日月曜日

自動運転の自動車がする判断について

近年の技術の発展はめざましく、自動車の自動運転技術が競って開発されて実用化間近で、本当の路上での実証実験や運転者のアシスト機能として自動車にその機能が搭載されたりしている。最近、自動車の自動運転での死亡事故(テスラ)が海外であり、ちょっと思うところがあるので書いてみる。

自分も昔、自動車を運転していたためわかるのだが、自動車を運転していると色々な場面で色々な判断、選択をせまられることがある。前に割と早い速度でカーブを曲がるときに、急な土砂降りでできた水たまりの上に乗って制御不能になりそうな場面があったりした。

上の例は、単に自分のドライブテクニックの問題かもしれないが、自動車運転においてどうしようもない場面(急な飛び出しとか)は起こりうると思う。どうしようもない場面でそのときにとる行動は、人間の場合それぞれだ。

子供が急に飛び出してきた。そのときに取りうる選択肢の例としては、

  1. そのままブレーキは最大限かけるだろうが、まっすぐ進む
  2. 自分を犠牲にして横の壁に向かって激突しに行く
  3. 逆方向にハンドルを切る(ただしそっち側には老人がいる)
人間で自分のようにドライブテクニックもない場合は、だいたい1.しかできないのではないかと思う。テクニックのある人は2.を選択するかもしれない。さらにテクニックのある人は、1.2.3.のうち最大限人命を損なわない可能性にかけるかもしれない。(1.の場合は前方不注意になるんだろうなあ)

自動運転にすると、人身事故はすごく減るんでないかという話をきいた。スピードは必要以上に出さないし、パニックにならないし、蓄積された膨大なデータから最善の運転方法をとるだろうし。(ここで思いついたのが、自動運転ばかりだと、自動運転プログラムは自然と連携して動けるが、人間の運転者が一人でもいるとそれがノイズとなって、事故の確率が上がるというジレンマが。。)

しかし自動運転でもどうしようもないケースはあるだろうし、その場合上記も1.2.3.のどの選択肢をどのようにとるか、どうゆう風にプログラムされているのかは気になった。
確率で一番安全策をとるのだろうか?完全に同確率の場合、命の選択をせまられるが、命の重み付けをしたりしているのだろうか?老人は轢いてもよしとか。。道交法上は、運転者の命が一番軽い設定のような気がするが、そういうプログラムになっているのだろうか?

仮に誰が亡くなったとしてもその責任は運転者に帰すのだろうか?(テスラの事例は、自損で運転者の死亡だった)プログラムの判断ミスに対する責任は問われないだろうか?とすると自分でハンドルを握りたいなあと思った。

まあ飛行機はすでに離陸はほぼ全自動らしいけど。着陸は難易度が高くてまだプログラムには任せられないらしい。

--追記--
テスラモータースの事故は、横切っていたトレーラーに直進して追突ということののようだ。しかも制限速度違反で。自動追突防止装置は付いていたらしいのだが、まず制限速度も認識できない自動運転て怖いとおもった。


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